「私は何をしたいのだろう」42歳のおじさん
物心着いた頃から頭の中でよく考えていた。
自分とは何なのか。
周りには両親がいて、怖い祖父祖母がいて、かわいい弟がいる。
自分はお兄ちゃんでしっかりしないといけない立場のようだ。
沖縄の長男とはどういうものなのか、どうあるべきなのか父の背中を見ながら自然と身に付いた。
あまり弱みを見せることができない子供で、友達がいないわけではないがその関係にどういう繋がりがあるのか明確にできないまま過ごしていた。
小学校に通い、授業を受け、大好きだった体育の日は朝からワクワクしていた。
高学年になると徐々に異性同士が意識しだし、話すだけで周りから冷やかされる。
中学校にあがると急に先生との距離が遠くなり、教科ごとに教える先生が異なる。
今まで色々気にかけてくれた大人達は、急に自立を促しできなければ怒られる。
小学校みたいにはしゃいでいると呼び出され、集団責任とビンタされた。
上下関係が生まれ、小学校まで仲良く遊んでいた先輩は怖い顔をして睨んでいる。
少し目立つ行動をすると先輩に呼び出され説教される。
学校裏では誰かが殴られ、中学という世界で上手く生きていく方法を探しだす。
暴力がある意味を考えるが分からない。
3年生になると進路を決めないといけない。
どこの高校にいきたいか。高校になぜ行くのか、何を基準に高校を選択するのかもわからない。大人たちは決めるのが当然かのような表情で生徒達をせかす。
流れに任せて決めた高校に合格し通うことになる。
何もかもが初めてでクラスの中で落ち着かず、多少地元の友人がおり過ごし方を模索する。
学習内容のレベルが上がり必死についていくが、目的は不明確である。
周りの期待もあり何とか成績を維持するが、進路に悩む。
異性を意識することも増え、通りすがりによく目が合う子と仲良くなり、恋愛という感覚に戸惑う。
自分には何が向いているのか、何がしたいのか、職種の知識もなく選択肢が限られた中で悩む。相談するにも自分の中で不明確なため、相談内容がはっきりしない。
3年生になると周りがどんどん進路を決め、焦って決めるもセンター試験結果がパッとせず浪人。
予備校仲間とつるみながら進路を模索、理学療法士という仕事を知り何となく自分に合っているようなので入学を決める。
専門学校、人生で一番勉強しないといけない状況に陥る。
実習も厳しく、この職種の人格を疑うこともあったが何とか乗り切った。
年齢の違うクラスメイトに戸惑ったが、年上から学ぶことは多く、反面教師にすることも多かった。
就職が決まり、社会人としてスタートをきる。
社会とは、仕事とはどういうものなのか、少し楽しみにしている。
共に成長できる同期と出会い、友人とは何か少し見えてきた。
自分の無知・無力に絶望し、がむしゃらに勉強した。
嫌いな先輩をすぐにでも追い越したい。
目標、憧れの先輩と出会い、プライベートでも一緒にいることが多くなる。
初めて結婚、家庭を意識しはじめている。
先輩・後輩、彼氏・彼女、夫・妻の関係に戸惑い、何度もすれ違うが伴侶となる。
仕事では年々後輩が増え、立場や役割が変化していき、現場よりも管理職業務が増える。
理想の管理者と自分が重ならず、悩み、コントロールできなくなる。
退職、別の道を模索して別の専門学校に入学。
30代にして10代と机を並べる。子供は2人目が産まれた。
気分転換には良い機会で、貴重な時間をエネルギー溢れる10代と過ごした。
その道で進んでみるがあまりしっくりこず、経済的にも厳しくなり原職(理学療法士)に戻る。
精神的にはかなり回復し、職場のメンバーにも恵まれている。
同僚と余興をしながら利用者の笑顔に癒される。
昔から興味があった教員へ転職。
久しぶりに仕事に熱中し、日々充実している。
人生を通して一つの明確な道筋は私にはない。
だが、これまでの選択が間違っていたかというとそれも違う。
中学校でヤンキーの先輩に誘われて嫌々入った部活。
流れに任せて入学した高校。
仕事に疲れて入学した専門学校。
いくつもの選択肢の中から自分で選択した結果だが、辿ってみると何となく形になり不思議と繋がっている。
「私は何をしたいのだろう」
42年経った今でも明確な答えはみつかっていない。
1つはっきりとした道がほしくなるが、その都度探す方法も間違いではないのかもしれない。
おそらく、大半の大人が1つの道をみつけられず悩んでいる。
私だけではなく、君だけでもない。
今ある私は間違っていない、逆に正解なのかもしれない。
最近、そんな風に感じている。
読者の皆さん、重い話になってしまいすみません(笑)。
進路に、人生に悩んでいるのは皆さんだけでなく、多くの大人がその悩みを抱えながら日々過ごしています。
悩みながらも、何かしらのきっかけや出会いにより、何となく進路を決める。間違ったことではないと思います。何となく決めた進路でも、また新しいきっかけがあればその都度修正すればよいのです。
人生は皆さんが思っているよりも長く、一発で決まるものではありません。
何度も何度も修正しながら、自分の道を探していきましょう。
琉リハは、数ある道の中の一つです。