2021.10.20 (水) ブログ
【那覇校】読書の秋、皆さんは何を読んでいますか。
今日のテーマは、「読書の秋」について今自分が読んでいる本を紹介します。
それでは今私がはまっている本を紹介します。この本は約20年前に477万部という大ベストセラーを記録しています。本のタイトルは『バカの壁』作者は元東京大学教授の養老孟子さんです。
当時私も本屋さんで購入し一人静かに読み進めた記憶が残っています。当時の私にとって内容も難しく理解するのに苦労しました。いまでも完全に理解したというところまではいきません。
また、この本に関しては、様々な意見があり賛否両論、わかれる内容も含まれてはいます。しかし、時代を超えて読まれていることも事実であり、あらためて読み返した私の感想を書かせていただきます。
『君子豹変』という四字熟語が本文に出てきます。この言葉は、この本のキーワードの一つだといえるものです。
「君子」は、教養や徳の高い人、人格者のこと。「豹変」は、豹の体の毛のまだら模様が鮮やかに変化するさま。もともとはいい意味で用いられたが、現在では俗に、無節操のたとえとして悪い意味で用いられることが多い。出典の「君子くんしは豹変ひょうへんす、小人しょうじんは面おもてを革あらたむ」による。(三省堂 新明解四字熟語辞典より)
『立派な人物であるほど、自分が誤っていることが分かれば、きっぱりと言動を変える。過去のことにとらわれたり、アドバイスしてくれた人のことをうらんだりすることなく、スッキリした形で、変身することができること。
易経の原文をたどると、「君子豹変、小人革面」とあり、「立派な人物は、自分が誤っていると分かれば、豹の皮の斑点が、黒と黄ではっきりしているように、心を入れ変え、行動の上でも変化がみられるようになる。反対に、つまらぬ人間の場合は、表面上は変えたように見えても、内容は全然変わっていない」と述べています。
現代ではややニュアンスを変えて、「誤りに気づいたら、素早く今までの意見を改めたり、行動のパターンを転換してよい」という教訓として受け取っています。
また、場合によっては、勝手に解釈して「融通無碍」に変節したり、前言を翻した場合にさえ、この格言を濫用しているようです。』
(https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/kotowaza27)
この本で養老先生は、教育、政治、宗教、研究、医療などに広範囲にまたがる「共通了解(わかり合うこと)」を重視していいます。また、別のキーワードとして、「個性」とは何だろうかという問題定義をしています。昨今の教育現場ではひたすら個性を伸ばせという風潮がありますが、それよりむしろ共感性を磨く方が必要なのではないかと問うています。
これはこうだと決めつける、一つの見方しかできない、といったような一元論的な考え方になった状態。それをバカの壁の中にいる状態と表現しています。
「結局我々は自分の脳に入る事しか理解できない。最終的に突き当たる壁は自分の脳だ」という文章が私の中で大きな問題定義となりました。脳と情報と身体の関わり合いとは一体何か。思い込みや偏見、願望などにより、まわりの意見を全く聞こうとしない自分はどうなっているのかと悩んだ時期もありました。自分が聞きたくないことは自主的に情報を遮断し壁を作ってしまうことがこれまでにあったかもしれないと反省をさせられました。
「諸行無常」「諸法無我」という仏教の教えが根本にあるような文章の構成に、あらためて養老先生の奥の深さを感じました。この2つの教えは、「すべてのものは変化をしている」そして「すべてのものは関係を持っている」という。時間を止めることはできないし、ヒトは一人では生きていけないという。
バカの壁とは1つのものを絶対的に正しいと信じた結果、自分に壁を作ってしまい、その向こう側に対しては思考停止してしまう事を説明しています。 著者は脳への入力と出力という観点でこういう思考に陥るメカニズムを説明し、一元論的な考えを否定しています。 一元論の例として、近代の都市化・情報化社会では人間の意識や情報ばかりが先行してどんどん「身体」というものが置き去りにされている。脳も身体の一部であり、身体でそして感覚で多くのものを入力することを提唱しています。
養老先生は、僕たちに「君の考えを教えてくれないか?」と問うてくれているように私は感じるのです。
私は理学療法士の一人として、広い視野に立って患者さんについて考えているかということをもう一度考えてみたいと思います。