2022.07.07 (木) ブログ
「七夕」歴史について
みなさん、こんにちは、作業療法学科です。
本日の作業療法学科のブログでは、7月7日(木曜日)の「七夕」について述べてみたいと思います。
七夕のお話は、中国古代の漢の時代の文芸集がもとになっているといわれていますが、7月7日、日本では、織姫と彦星が出会う日とされています。中国では織女(しょくじょ)、牽牛(けんぎゅう)といい、織姫と牽牛が会合する夜であると明記されたているのは、南北朝時代の年中行事を記した書物だといわれています。ちなみに韓国やベトナムなどの中国圏には七夕の星祭りがあるそうです。
日本の「たなばた」は、元来、中国での行事であった七夕が奈良時代に伝わり、元の時代からあった日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれたされています。
その伝説は、「たな」は「棚」で、水辺にかけた木材を「棚」といい、日本では神を迎え祀るのに、乙女が水辺に設けた棚で「機織り」のための場所にこもって待つとの内容です。この行為を棚機(たなばた)と呼んでおり、その伝説に本来なら「しちせき」と読む外来語に「たなばた」という大和言葉が当てられたようです。つまり「棚機(たなばた)と七夕(しちせき)」が一緒になったとの事です。
また、日本では宮中儀式(奈良時代に)として伝わり、江戸時代には幕府が決めた祝日だったようですが明治時代に廃止されています。
そして、大変興味深いのは、国を超えて広く伝わる織姫と彦星のお話には、国や地域によって様々なバリエーションがあるようですが、以下の内容は共通しているようです。
天帝(神様)の娘である織姫(織女)は、機織りが上手で働き者の女性で天帝(神様)は、同じく働き者で牛飼いの男性と引き合わせました。二人はひと目で恋に落ち、結婚しましたが、結婚すると遊んでばかりで、働かなくなり、怒った天帝(神様)は二人を天の川の両岸に引き離しました。しかし、織姫(織女)が泣いて悲しんだため、年に1度、七夕の夜にだけ会うことを許すようになった。つまり織姫(織女)の願いを一年に一度だけ叶えてあげたというあらすじは一緒のようです。